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東国原英夫が宮崎県知事時代に残した4つの実績と1期で辞めた理由を解説!

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宮崎県知事選挙が2022年12月25日のクリスマスに行われますが、立候補を表明している4名は非常に名の成る個性的な方ばかりです。

現職の河野俊嗣さん、タレントから転身した東国原英夫さん、プロゴルファー横峯さくら選手の父親である横峯良郎さん、スーパークレイジー君こと西本誠さん。

これだけのタレント性が集まる知事選もあまりそうないのではないでしょうか。それだけに宮崎だけでなく全国が注目している選挙になることでしょう。

今回はその中でも知名度が断トツで高い「東国原英夫(旧:そのまんま東)」さんについて調査をしました。

東国原さんと言えば、過去に一度「宮崎県知事」を経験されている方ですが、その当時一体どのような実績をあげてきたのでしょうか。また、最終的に県民を裏切るような形で宮崎県知事の座を1期で辞めた理由とは何だったのでしょうか。

今一度その内容を振返っていきたいと思います。

東国原英夫による過去の宮崎県知事時代の4つの実績

東国原さんは2007年に初めて宮崎県知事に就任します。そして数々の実績を残してきました。

大きくまとめると次の4つになります。

東国原英夫による過去の宮崎県知事時代の4つの実績

  1. 基本的な公費の見直し
  2. 自らを広告塔とした宮崎PR活動
  3. 鳥インフルエンザへの対応
  4. 「どげんかせんといかん」流行語大賞のワード発信

それぞれ細かく解説をしていきましょう。

実績①:基本的な公費の見直し

まず基本的な部分の費用回りの見直しをはかりました。

椅子や机を始めとした、知事が使用するあらゆるものを質素なものを変えていきました。

特に知事専用の公用車が当時トヨタの「センチュリー」でしたが、これをハイブリッドカー使用の同じくトヨタ「エスティマ」へ乗り換えます。これによりガソリン代などの節制に繋がり年間で60万円の公費削減につながったと言われています。

またこの時に手放した「センチュリー」は売却して255万円にて買い手への譲渡が成立しました。

実績②:自らを広告塔とした宮崎PR活動

東国原さんの一番の武器は、なんといってもその知名度です。

「そのまんま東」という名前でビートたけしさんらと、たけし軍団として活躍していた時代を知る人にとって、東国原さんはまさに一流のタレントなのです。

そんな東国原さんには当然マスコミ・メディアも盛んに盛り上げます。

東国原さんは自身が率先してテレビ番組などに出演することで、常に「宮崎PR活動」を行ってきました。

その反面「知事になってもタレントのつもりでいる」などの批判の声もあがりましたが、自身のPR力を疑うことなく、「宮崎県知事」としてバラエティ番組を始め様々な番組にでるのです。

その仕事がほぼノーギャラで交通費や雑費程度しか出ないとしてもです。

その県知事自らの熱心なPR活動により、全国から宮崎に来る観光客は以前よりも断然増えました。このお蔭で宮崎県の物産館は黒字経営になったようです。

実績③:鳥インフルエンザへの対応

2017年1月23日に発生した鳥インフルエンザ。宮崎の清武町、日向市、新富町などで連鎖して感染しまし、宮崎県に多くの被害をもたらしました。ただ、この時の東国原さんの動きは早かったです。

発生後1週間も経たずに、中央省庁へ自ら趣き、財政支援などを要請します。

また宮崎の鶏ブランドに悪い評判が出回らないように、やはり自らが先頭を切ってメディアや野球のキャンプなどに積極的に顔を出しました。

県内産の鶏肉や鶏卵の安全性を訴えるCMに自ら出演したり、風評被害を最大限に抑える努力は、宮崎の経済の停滞を最低限に抑えたという実績に繋がります。

実績④:「どげんかせんといかん」流行語大賞のワード発信

東国原さんが県議会の所信表明で発した次の一言が、2007年の流行語大賞に選ばれます。

東国原英夫元宮崎県知事の名言

「宮崎をどげんかせんと(どうにかしないと)いかん」

直接政治に繋がったというわけではありませんが、この一言で「日本に宮崎あり」という強烈なインパクトを全国に発信することができたのでしょう。

東国原英夫が宮崎県知事を辞めた理由

タレント出身の力を活かし、宮崎県知事として数々の実績を残した東国原さんですが、任期である4年間を全うして1期で宮崎県知事を辞任しています。任期は「2007年1月21日~2011年1月20日」でした。

任期を全うし辞める、これは普通のことに思えますが、実は「わずか1期で宮崎県知事から離れるなんて・・」という世論を生んでしまいます。

実績を残したのに、なぜこのような反発をうむ結果になったのでしょうか。

ここでは東国原さんが宮崎県知事を辞めた理由が影響しています。

東国原英夫が宮崎県知事を辞めた理由

  1. 政界に興味があった
  2. 次は東京都知事!?

この2つについて解説していきます。

辞めた理由①:政界に興味があった

宮崎県知事として活躍していた東国原さんですが、それだけ目立てば当然政界からのオファーは絶えません。

2008年10月に中山成彬さん(宮崎1区)が次期衆議院議員総選挙に出馬せず、引退を表明した際にその擁立候補として東国原さんの名前があがります。その時は出馬を否定しますが、ほどなく「なるからには閣僚か、トップです。初当選、初入閣」と発言しています。これは完全に政界に対し脈ありな発言です。

その後2009年には自民党より次期衆議院議員選挙への出馬を要請されます。その時東国原さんが出した条件がなんと「自民党総裁候補」とすること。かなりの自信家であることが窺えます。

そのような形で宮崎県知事として動く合間に、政界からのオファーが絶えず、東国原さん自身もそちらの道を意識するようになってしまったのです。これが宮崎県知事を1期で辞めた理由のひとつなのです。

辞めた理由②:次は東京都知事!?

政界に興味が出てきてしまった東国原さんは、更にその野心を暴走させます。

2011年1月で宮崎県知事を離れた東国原さんは、2011年4月に行われる東京都知事の選挙に立候補するのです。完全に鞍替えです。計画的だったのしょう。

ところが、前職の石原慎太郎知事に90万票強の大差を付けられ、落選する結果に。さすがにこれまでは、なかなかうまくはいきませんよね。

宮崎県知事を辞めた理由の2つ目は、この東京都知事への鞍替えが原因であったといわざるを得ません。

 

この2つの理由によって宮崎県知事をわずか1期で去ってしまった。となれば宮崎県民からは・・

え・・なんで?

もう少し宮崎のために尽くしてほしかった。

という声が上がるのは必然なのです。

 

その後の後任として、東国原さん自らが当時副知事に任命していた河野俊嗣さんが就任することになるわけですが、今回の2022年の選挙ではこの2人が争うことになります。

当然現職の河野俊嗣さんからすれば「一度宮崎を捨てた人が、何を今更・・」と思うにきまっています。2022年のクリスマス選挙、お互いの負けられない戦いが始まりますね。

まとめ

今回は東国原さんが過去に宮崎県知事として残した実績と、逆に宮崎県民から反発を買ってしまった宮崎県知事を辞めた理由について解説してきました。

東国原英夫による過去の宮崎県知事時代の4つの実績

  1. 基本的な公費の見直し
  2. 自らを広告塔とした宮崎PR活動
  3. 鳥インフルエンザへの対応
  4. 「どげんかせんといかん」流行語大賞のワード発信

東国原英夫が宮崎県知事を辞めた理由

  1. 政界に興味があった
  2. 次は東京都知事!?

確かなインパクトのある実績を残しながらも、半分は宮崎を捨てるような形で県知事を1期で離れてしまった東国原さん。

今回の2022年の宮崎県知事選挙でどのような世論を掴むことができるのでしょうか。票の動きに注目です。

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